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国際関係学部で何を学ぶか(座談会レポート)

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国際関係学部で何を学ぶか(座談会レポート)

ここでアップされている内容は、
1998年2月22日に大東文化大学の国際関係学部1年生(当時)3人が行った
座談会の模様を編集したものです。


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座談会参加者のプロフィール

・大沼範昭
高校卒業後、貿易会社勤務。
その後、米国留学、劇団研修生を経て、ベトナムへの思いから本学部へ入学。
社会経験と気取らない性格から、良き相談相手として人気がある。
「経験は何ものにも勝る。これだけ自由に使える時間があるのなら、
一見無駄に思えることも挑戦してほしい」」

・吉野航太
高校時代は陸上競技に専念。日本ジュニア選手権出場。
地研活性化のため、アジア総合安全保障研究班を設立し、
研究中心の日々を送る。地研改革の中心人物。
「失敗は罪ではない。低い目標こそ罪である。
そして、夢を語ることは決して悪いことではない。
小さくまとまるな。常に膨張せよ」

・齊藤貴義
全国高校生クイズ選手権福島県代表。
全関東学生雄弁連盟屈指の若手論客。
ニュース23や「朝ナマ」に出演するなど活動領域は広い。
「人生、学問に明確な答えはない。
しかし、常に“問い”を立て考え続けることにより、
おぼろげながらも実態が見えてくるのではないか」


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【アジアの再興】

吉野:大東文化大学国際関係学部を志望し入学した学生というのは、
多かれ少なかれアジアヘの興味を持っているが、その多くが経済成長時に、
「これからはアジアの時代だ」という経済交流偏重の声の中で、本校を志望したと思う。
しかし、97年夏の経済危機以降アジアの魅力というものは変わってきている?

大沼:経済が先行し過ぎていたよね。明らかに、列強支配の遺産でアジアは
民族・宗教、その他諸々を全く考えずに領土決めが行われていたから、
内的な諸問題を無視したところでの経済発展が今回の経済危機の原因だった。
でも、経済危機以降のアジアにおいても、JlCA(国際協カ事業団)しかり、
世界銀行やIMF(国際通貨基金)のような国連傘下の機関もしかり、
開発重視のきらいがあるにもかかわらず、今後もそういった機関が活躍していく。
だから、小島麗逸先生が1時間目(注:アジア概論)から
「大東文化大学国際関係学部はそのような機関の人材養成所でありたい」と、
口を酸っぱくして言っている。

吉野:IMFは東南アジアやロシアに行なったように、どこにでも同じ処方箋を用いてしまい、
よけい傷口を広げてしまった。
だから、「アメリカ主導のIMFとは別に、アジア主要国でアジア通貨基金をつくれ」
という意見もあるけど、権かに、特定の国や地域のことを学んできた人材が
必要になってくる。
そういった意味で、この学部で学ぶことは大きい。

齊藤:それと、アジア全体で考えるのならば、自分達で新しいものを
もう一度はじめから作れる、といった時期に差し掛かっていることに目を向けるべきだね。
そこでは、人間の構想カや想像カが非常に重要になってくる。
それに、近代が始まる以前はアジアが先進地域だった。

吉野:それはいわゆる四大文明や、それ以降の巨大王朝、例えばオスマン帝国とか?

齊藤:そう。ヨーロッパで産業革命が発生する前までは、
アジアが世界をリードしてきたわけだからそのリードしてきた方策を探ることは、
今後の世界を探ることにつながる。
現代の国際関係学を例にとると、ヨーロッパ研究から世界を見つめると
始まりが近代になってしまう。
だから、断絶された近代以前にアジア研究が入っていけば、
今後の国際社会がわかりやすくなる。
現代とは、歴史との対話にほかならない。
だから、歴史や現代を根本から見つめ直す幅広い歴史的な視野を身につけられるのは
うちの学部の魅カだよね。

吉野:「賢者は歴史から学ぶ」というからね。

大沼:でも、近代的な概念にアジアが世界をリードしてきた
前近代的な概念を取り入れるってことは、
人類補完計画じゃないけど、一見矛盾しているように感じる。
双方の概念のどちらかを取らなけれぱならない歩みだったんじゃないの?

齊藤:合理主義や近代経済学などの近代的概念は、
ヨーロッパの文化、風士的土壌の影響が強いから、
それ以外の新しい発想に学ぶことは有効だと思う。
ヨーロッパ対非ヨーロッパではなく、互いの良い面を見つめ合って
新しい世界を築いていかなけれぱならない。


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【アジア学のススメ】

吉野:そういった相互補完的な考えもあるけれど、
産業革命以後、世界をリードしてきた近代システムが制度疲労を起こしている中で、
欧州やアメリカは今後の世界をリードするための新しい実験を常に行っている。
でもその一方で、アジアは常に受身で、次世代へ向けた実験を行っているようには
見えない。
だから、このままではアジアは次世紀も世界をリードすることができないと思うけど。

齊藤:でも、ヨーロッパは取り決めによって経済発展を収めてきたでしょ。
アジアのそれを見てみると、黄金の三角地帯と言われる
マレーシア、インドネシア、シンガボールのように、
取り決めなしに経済が国境を越え、一体化し、そして経済発展が起こった。
“国”という概念が暖味だったことが原因だと恩うけど、そういった所に注目するのが面白い。
京都大学の東南アジアセンターが「生態史観モデル」を発表したけれども、
今までの“国”という概念から離れて、風士的な特徴から
世界をいくつかに分け世界の構造を分析していくというのは、
もともとその概念が希簿だったアジアからのユニークな発想。
だから、アジア自体を巨大なブレインとする「アジア学」を学んでいけぱ、
新しい世界の見つけ方・ツールを発見できるかもしれない。
シルクロードとか、海洋交流とかが例だけど、
“国”だけじゃないからね、世界を動かしてきたのは。

吉野:それは、文化人類学的アブローチってこと?

齊藤:いや、それで一括りにするのは良くない。
だから、そういった宝箱的なことを細分化せず、
まとめて“アジア”として学べることはこの学部のすばらしいところ。

吉野:全てを内包した多様性、懐が広い。

齊藤:でも、多様性を持ち出してきて、アジアが一番優れていると言うのは弊害がある。
再度、経済発展が起こったとき、気をつけないと今回の繰り返しになる。
今回の経済危機で倣慢な心が一掃された。そして、可能性が残った。
例えぱ市民社会がこれからアジアにもっと広がるとか。

大沼:昨年、インドネシアの独裁制が崩壊した。
いままでの権威主義体制から、本当の意味での市民社会が
これからだんだんと誕生して行くけど、
そうした変化の過程の中で弊害が生まれてくる。
たとえぱ、賄賂はアジアにとって罪悪を伴う“ワイロ”ではなく、
社会を円滑に動かすための一つの要因になっている。
つまり、文化になってしまっている。

吉野:最近はグローバル=スタンダードってよくいわれるけどさ、
やはり、その国その地域にあった文化を無視できない。
そういったものを無視してしまうと弊害が出てくる。さっきのIMFのように。

齊藤:そう、グローバル化の中でアジア既存の文化が一部崩れてしまったり、
変更を余儀なくされているけど、そういったものを考慮していかねぱならない。
やはり、アジアに対するこういった議論が可能になるのも、
大学でアジア学を学べることやアジアに対して興味のある学生が
比較的多いこの学部の魅カの一つだよね。
それに、学生間の議論に飽きたら、教授と議論してみる。

大沼:そういった意味では、アジアに精通する専門家が多いこの大学はいいよね。

吉野:護論を通して、互いに切瑳琢磨できる。
臼杵先生が言っているのとはちょっと違うけど、まさしく、「共同研究の場」。

齊藤:だから、この学部のそういったすぱらしい面を活用して
アジアをもっと好きになってもらいたいし、
また、アジアという概念を疑うくらいの知識を養ってほしい。


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【柔軟な頭脳と広い視野】

吉野:最近、リベラル・アーツって言葉をよく耳にするけど、
それがどうも、日本では国際とか政策といった学部で行われている。
リベラルアーツ的教育って、大学院進学を前提にして、
学部レベルでは徹底的に基礎知織を教え、なおかつ応用分野の知識を広く浅く教えること。
そうすることで、柔軟な頭脳と広い視野を持つ人材を育成する。
この二つ、いわばリベラルアーツ的思考を活用することで、
大学院進学後や社会に出てから、ある特定のディシブリン(学問的専門領域)に
没頭していた者と対等、あるいは優位に立てる。そこでさ、大学院進学は別にして、
国際関係学を学ぶ者にとってこの二つが非常に有効だと思うんだよね。
つまり、社会諸科学や人文諸科学の基礎を学ぴ、柔軟な頭脳や広い視野を養うことは、
「共同研究の場」としての国際関係学というフィールドの中で、
全体像の把握や各ディシプリン間の意見の統合・調整を容易にする。
こういった意味で、リベラル・アーツ的教育を導入することは非常に有効であると思う。

齊藤:いや、ぼくはリベラル・アーツ制の導入には疑問を持つね。
リベラル・アーツ制を導入すると、学部の垣根がなくなる。
そうなると、アジアを専門的に学ぶことによって得られる知識とか、
それを就職のときに即戦力で使えるという、うちの大学の利点がなくなる。
それに、アジア重視でやってきたこの学部の良い伝統もなくなってしまう。

吉野:いや、システム自体を導入するわけではない。
柔軟な頭脳や広い視野を養うことが大事だということ。

齊藤:ぼくは、国際関係学ってもともとりベラル・アーツじゃないかと思うんだ。
経済学でも、原論から勉強していかなけれぱ、いきなり、
「東南アジアの経済は…」って言われても、
ほとんど理解できない。だから、大学が提供するカリキュラムで、
原理的または理論的なことを用意すれば、
あえて、リベラル・アーツ制を導入する必要はない。

吉野:そうすると、リベラル・アーツ的思考を意識しつつ、
アジアについての専門知識を高めていくことが必要になってくる。

大沼:でも、両立ということになると弊害が出てくる。
要するに、大学4年間という限られた時間、大学3年生の1月には、
すでに就職の内定が出ている現状を考えると、勉強できるのが実質1年間しかない。
その中で、専門性を磨いて、そういった一般教養の知識を身につけるのは物理的に困難。
どうしても、専門性を重点的に磨かなけれぱならない。

吉野:確かに、リベラル・アーツ制の導入が大学院進学を前提としているということもあるし、
うちの学部から大学院に進学する学生はほとんどいない。
しかし、学部レベルでの専門性が問題になってくる。
ある程度の地域言語運用能力と、中途半端なアジアに関する専門性では、
外語学部や、経済や政治といった専門学部を出た連中に勝つことは困難。
それに、アジアを学べるのはウチの大学だけではないし。
そこで、リベラル・アーツ的思考が必要。たとえぱ、中国について学ぶとすると、
それしか勉強しないことが十分起こりうる。これだけグローバル化が進んだ今目において、
どこがどうリンゲージしているのか見極めるのが困難だし、それによって変化が起きている。
そんな中で、ある一つの対象の周囲を知らないのでは、それこそ弊害。

大沼:でも単純に考えて、我々が受講している、一般教養の講義(総合教育科目)が、
果たしてそれが実用的なものなのかという間題がある。
単になめるというか、さわりというか、こういったものがありますといった
定義を学んでおしまいというのがあまりにも多い。
だから、アメリカの大学のように入学後自分の方向性を決定できるような
大学であればいいんだけど、
日本の大学では入学した時点ですでに学部が決まっているから、
一般教養科目に重点を置くのは無駄である。

吉野:いや、そういう一般教養ではない。国際関係学は中途半端な学問だから、
「全てのことで教養レベルになってしまっては意味がない、
何か一つ専門を持て」と頻繋に言われるけど、
ぼくなりにこれにリベラル・アーツ的思考を加味してみると、
「何か一つ専門を持ち、その関違知識も併せて高めていくこと」だと思う。
だから、ここでの教養は、例えば芸術とか哲学とかの全然関係のない
分野としての教養ではなく、何らかの発想を生み出す土壊としての知繊の集積と専門基礎。
それなくして、専門性の積み上げはできない。

齊藤:いや、周りの知織を身につけるというよりはむしろ、
ある特定分野の知識をいかに他の分野へ応用する手段を身につけることが
大事ではないかと思う。
つまり、ある特定の分野を学ぶということは、
それはそれで専門性を身につけるという点ではすごくいいことだけれども、
それを他の分野に応用できないというか、応用する術を大学では教えていない。
今の大学教育は高校の延長で知識を網羅的に教えているだけだから、
日本人は自分の持つ知識を自分の頭を使って考えることが苦手。
そういった物事の考え方さえ教えれば、リベラル・アーツ的教育を意識することはない。

吉野:でも、いま齊藤君が言ったのって、
さっきぽくが言った柔軟な頭脳を養うことになるんじゃない?
周りの知識を併せて高めることは視野を広げることになるから、
結局、リベラル。アーツ的思考を意識した勉強をしていかなければならない。

大沼:単純に考えて、理系は除くとしても、企業にとって文系の学部を卒業した学生は、
全然即戦カではない現実がある。ぼくの友人がすでに様々な学部を卒業し、
社会に出ているけど、彼らの実体験がそれを物語っている。

吉野:確かに新入社員を必ず教育し直しますからね。
だから、学部レベルでの専門性はほとんど関係ない。
たとえば、商社や金融なんか、経済学部や商学部に限らず、
文学部からも新規採用を取っている。

大沼:でも、今の時代、日本企業の形態も欧米諸国の企業体系に近づきつつあって、
キャリアやスキルを持った人材を欲している。こういった企業の二一ズに合わなければ、
我々は職を求めることができないから、
やはり、専門性を高めるために余分な時間を他のことに割くべきではない。
学部レベルでの専門性では社会に出てから通用しないという現実があるとしても。

吉野:別な考え方をすると、最も中途半端な学部を卒業した者としての偉業は、
専門教育を受けてきた連中や専門家との競争ではなく、
リベラル・アーツ的思考を身につけた上での共存ということも考えられる。

大沼:ぼくらには英語なり、アジアの地域言語があるから、
この言語とリベラル・アーツ的思考とを活用し、
学際的なことを学んできた我々が専門家の間にうまく介在していくことは可能。
通訳や現地駐在員とか…。

齊藤:ぼくは、3年問という制限があるわけだから学部レベルでは
研究というよりは教育を徹底的に行った方がいいと思う。
つまり、国際関係学を十分理解しているかってことにこだわらずに、
人間性や将来自分をどのくらい伸ばせるかという、物事に対する性格的なことを学ぶ。
自分の専攻をじっくりと深めたけれぱ大学院に進んだり、留学すればよい。

吉野:いま出てきた教育というのは、柔軟な頭脳と広い視野を身につけるということも
含むのかな?

齊藤:あと、専門パカになれってこと。


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【畢竟、独学に勝るものなし】

齊藤:何か一つのを徹底的にやり込む姿勢を大学時代には身につけるべき。
この姿勢が社会に出てからも大切だからね。
でも、そうなると実際に学問をして行く上で、独学できなけれぱ話にならない。
いままでの議論の経過の中では大学教育に期待している側面が大きかった。
大学は専門を教えてもいいけど、リベラル・アーツ的思考を養うことを求めるなら、
本やインターネットなどの情報源を積極的に利用していくこと、それが大事。
そうすることによってリベル・アーツ的思考さえ身につけられれば、
専門学部であろうが学際系学部であろうが何でもいい。

大沼:とにかく自覚しろ…と。

吉野:大学、そしてそれ以後の勉強に対する心構えというか覚悟、
一言で言えぱ「畢党独学に勝るものなし」。

齊藤:大学3年間というけれど、講義やバイトの時間を抜かしても、
自由に使える時間は高校生や社会人のそれよりもかなり多い。
だから、それをリベラル・アーツ的思考を養うために、
いかに有効に投資していくかが大事になってくる。
だから、大学時代にはいろんな人に、いろんな本に出会ってほしい。

大沼:齊藤君、ちょっとクサイな。それは避けたかった。
いかにもって感じ。まあ、いいけどさ。

齊藤:結局、リベラル・アーツは学生が自主的にやらなけれぱ始まらない。
専門だったら自主的にやらなくても教室での詰め込みでいいわけでしよ。
でも、リベラル・アーツだったら、積極的に行動して行かなけれぱ、
一般教養のさわりで終わってしまう。

大沼:そうだよね。だって、授業の内容を見ると独学以外の何ものでもない。
あんなの岩波新書の目次と冒頭を写しているだけ。とくに、OO学。これはひどい。

吉野:全くその通り。わかりにくい講義もあるし。ぼくなんか、時間の無駄だから、
退屈な講義にはなるべく出ない。でも、図審館にこもって、自分なりに講義の復習をしたり、
関連項目を調べたりしている。
だから、ぼくが常々言ってるのは「教室を出てからが本当の勉強だぞ」って。
だから、各自が行動すれぱ大学がわざわざリベラル・アーツ的教育を行う必要はない。

大沼:でも、履修がアナキーにならないように、
ある程度のコース制や履修制限は必要になってくる。
つまり、ガイドラインが必要になってくる。

齊藤:でも結局、独学だよ。だから、「学問の仕方がわからない」なんて言ってるのは、
ある意味“甘え”だよね。本を読んだり、誰かと議論すること自体がすでに学間。
だから自信を持って行動してほしい。

吉野:学問は方法と場所、あと時間を選ばない。
ぽくなんか国際関係論の講義のとき、一番前で読書していた。
友達には、チャレンジャーと言われたけど…。

大沼:でも、そうなってくると学生の意識が重要になってくる。
でも、この大学はその道のエキスパートが一通り揃っているわけだから、
勉強しようと思えぱ、これほど恵まれた衆境はない。

齊藤:だから、ほとんどの学生が宝の持ち腐れなんだよね。
教員やカリキュラム的なこともあるし、学生の質や個性が多様性に富んでいる。
学問的な議論ができる人から、遊び上手な人、無産市民まで一通り揃っている。
その中でいろんな人と出会える。こういった中で個性のぶつかり合いが起こって、
互いに切桂琢磨していく。つまり、社会性を養い、かつ互いを高め合えるという面で、
すぱらしい環境にあるといえる。これが、いわゆるすべり止め大学であるウチの強みだね。
ここをもっと、活かしてほしい。


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【フィールド派?図書館派?】

大沼:確かにウチの大学は、やる気のある者にとってはすぱらしい環境にある。
しかし、厳しい現実を見てしまうと、なにかに打ち込もうとしても、力が入らない。
だから、この4年間を社会という戦場に出ていく前の休息期間とみなすことを、
決して悪いとはいえない側面がある。

吉野:モラトリアムであり、一昔前によく言われた大学のレジャーランド化。

大沼:だから、ウチへ入学し、学ぶことによって、
経済的ではない将来の展望が開けれぱ…。
ぼくらの周りにはアジア諸地域に頻繁に行く者がいる。
帰国後彼らは口をそろえたように「人生観変わったぜ」と言うわけだけど、それなんだよね。
学問とか職業とか、そんなちまちましたものではなく人生観。それを変えるような体験…。

吉野:生き方?体険?確かに、国際関係学部という学部自体の性格かもしれないけど、
個性が満ち溢れている連中が互いに刺撤というか、影響を無意識のうちに与えている。
それに、そういう連中って付き合いやすい。
丁度、ぼくがいた高校の英語科がこんな感じで、結構うらやましかったな。

大沼:世界に出ていく学生がこれだけ多いってことがすごく面白い。
だから、大学生活を充実させる刺激策の一つに海外に出ることがあげられるよね。
とくにアジア。これは、アジアを学んでいるからというよりは、
今までのバタ臭い目常、欧米文化に浸ってきた我々にとって、
非日常を得るための一種のカルチャーショック。

齊藤:でも、アジアには大学生じやなくても行くことができる。

大沼:いや、ぽくが言いたいのは、これだけ休みがあると頻繁にアジアに行く仲間がいる。
普通の人が行くのとは、行動の仕方が違う。
大東文化大学国際関係学部の強みは、誰かが一ケ月はインドを歩いている、
また誰かがそれ以上の期間、タイで学んでいる。それですよ。

吉野:そう、それ。ぽくが浪人中、心の支えだった予備校の先生が言った言葉だけど、
「君逮、海外へ行ったら、一本裏通りへ入りなさい」って。シビレましたね。
一本裏通りに入ると、そこには物乞いがいたり、麻薬やってる危ないヤツがいる。
いろんな汚い面が凝縮されている。表通りや親光地はどこも飾り立てられていて、
どの国もたいして変わらない。だけど、裏通りにはその国の実情がある。
先生はそういった意味を込めて言ったと思う。ぼくはまだ海外に行ったことはないけど、
観光とか、文化とか、そういうきれいな面ばかりを見て、
アジアの全てを知っていると誤解している連中って結構多い。
ウチの学部には「アジア大好き」っていう人が多いけど、
ぼくは別に嫌いになってもかまわないと思う。好きとか嫌いとかは第二義的なもので、
本当に大事なのは、汚い面を見てもなおアジアに輿味を持ち続けることができるかってこと。
これは、ぼくが総合安全保障という、国家間のエゴの最前線に
興味を持っているからかもしれない。
だから、こんなことを言うと非難されるかもしれないけど…。

大沼:吉野君の意見には賛否両論があると思うけど、
アジアヘ飛ぴ出していった先人が多く、彼らとの交流を日々持てるのはウチの強みだね。

吉野:行勤派が多いですね。だから、ぼくや齊藤君なんかは、
理論派というか、図書館派というか…。
今度、地研の広報出版部で学部生全員にアンケートしようと思っているんですよ。
「たったいま、10万円あったらどうしますか?」って。
 1.海外旅行に行く
 2.本を買う
この二通りの選択肢しか用意しない。

大沼:それは面白いかもしれない。

吉野:ぽくなんか、いま10万円あったら、迷わず本を買いますね。
自分の器を大きくするというか、ここで学べるものは全て学んでから
外へ出ようと考えてますから。
ここでいう器は、人間の器量という意味ではなく、外へ出て経験を積むための準備。
器が小さいうちに外へ出て経験を積もうとしても、少ししか水はたまらない。
語学のほうもまだまだだし…。

大沼:単純に考えて、両方実践しなければならない。

齊藤:ぼくは器も含めて、それほど時期にこだわる必要はないと思う。
だけど、やはり大学時代はたくさんの本を読み、海外へ行かなければならない。
あと、それに関違して大事なのは、謙虚になること。ウチの大学は行動派が多いけど、
行動の質が問題。例えぱ、ある有名大学では、ベンチャー企業を設立する学生が多いし、
NGOに参加する学生も結構多い。
そういった意味では、ウチは遅れをとっている感を杏めない。
だから、ちょっと行動しただけでお山の大将になれる。自信を持つことは大事だけど、
傲慢になってしまうと弊害が多い。
だから、学外の人、例えぱ他大学の学生との交流の中で、
常に新たな刺激を受けてほしいね。モグリとかして、他大学に潜入してほしい。
つねに外部からの新鮮な刺激を受けてほしい。そうしないと、井の中の蛙になりやすい。


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【何かに打ち込む】

齊藤:入学してからもうすぐ1年経つけど、大沼さんはどんな時、充実感を感じましたか。

大沼:ぽくは高校を出てからすぐ就織したから、
専門家の教えを受けることができない状況に置かれた。
だから90分間、何ら束縛もなく彼らの教えをとうとうと聞き、
学問に励めることに喜ぴを感じたね。

吉野:時間に縛られることなく、学問に打ち込める。
これは学生時代の特権。ところで齊藤君はどうなの?

齊藤:ぼくは、落ち着いて何かを考えられる時間を持つことができたのが一番大きい。
高校時代は大学受験をそれほど意識してはいなかったけど、
やはり、プレッシャーを受けていた。だから、落ち着いて考えるという状況ではなかった。

吉野:ぼくの高校時代は、まず部活、ついで受験勉強だったから、
読書とかあまりできなかったし、1年間浪人もしている。
勉強したくて大学入ったから、講義や議論の中で知的好奇心を充足させた時が
一番面白い。
活動場所がトラックから、正反対の図書館に移った。

齊藤:ぼく達が話すと、いま言った知的欲求の充足に落ち着くけど、
大学はそれだけじやないからね。充実を感じるときは人によって異なる。
だから、なにかに打ち込んでいる人を尊重し合う、そんな雰囲気作りが大事。
ウチの大学の場合、例えぱ、学問を一生懸命やっている者に対して、
マニアックというレッテルを貼る風潮がある。
だから、何かに真剣に取り組んでいる者を互いに認め合う雰囲気を作る必要がある。

吉野:そう、ほとんど魔女狩りに近い。
でも、勉強に限らず、部活、サークル、趣味、なんでもいいと思う。
大学はそういうものを全て内包した場所なんだから。
そこから何を選ぶかは個人の自由であって、どれが優れているとか、
どれが良い悪いといった問題ではない。
問題はどれだけやったかで、何をやるかではない。

大沼:だから、何らかの充実感を得たかったら、まずはじめに行動ありき。
まず動け…と。本をつかめ、チケットをつかめ、ジョイスティックは捨てよ。

齊藤:いや、テレビゲームもいいですよ。

吉野:プレステ持ってるから、そういうこと言うんでしょ。
それにしても、ジョイスティックは古い。


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【知的武装せよ】

吉野:一連の話の中で、一冊の本との出会い、人との出会いが大切だということが
出ているけど、何か、本に対する持論とかないですか?

齊藤:ぼくは古典を奨めたいねえ。プラトンの『国家論』とかルソーの『社会契約論』とか。
こういった古典には、何もないところから新しい考えを打ち立てる知識が詰まっているし、
論理を養うことができる。ウチの学生はヨーロッパの古典に触れる機会が少ないから、
少しそういうところを意識してほしいね。

吉野:ヨーロッパの古典って侮り難い。
でも、それを世界史の文化史の域でしか考えていない。
あと、国際関係というと現代風というか、未来志向というか、歴史を軽視するきらいがある。
温故知新という意味では、古典に学ぶことは多いし、
それに限らず、教養の基礎として歴史を客観的に理解しておくことも必要。

齊藤:結局、ぼくらは国際関係論をヨーロッパで成立した合理主義をもとにして
学んでいるからね。
そういった意味で、ウチの学生は論理的思考にかける人が多い。
論理は感情ほど広くはないけれど、物事を正確に見る上では非常に優れている。

大沼:アリストテレスを読め…と。
あと、吉典とまではいかないけど、読書はしてほしい。
結局、コミュニケーションは互いの持つ知識の共有だから、
知識のないところにコミュニケーションはありえない。
そういった意味で、知識の蓄積は大事。

吉野:だから読書でもテレビでも、新聞でもなんでもいいんですよ。
とにかく、新しい情報でも古い情報でも、自分にとって有利な情報を集めてくる。
それが学問をする上での心構えであり、そうしておかないのは、
知的怠慢以外の何ものでもない。ちょっとキツイけど。

大沼:それと、ぼくらは言語を学んでいる。
言語というのは情報を共有する上での媒体でしかないけど、
コトバと知識のどちらか一方が欠けても、コミュニケーションは不完全になってしまう。
両立が大事。

齊藤:情報を共有する上で、難解な一つの本をいくつかのパートに分けて
互いにまとめて発表し合う。そういった共同研究も独学以外にすごく有効。

大沼:一人が独自に得られる情報は限られているから、
時間的な意味においても、それは有効かもね。


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【自分探し】

大沼:ぼくが生きる上で衝撃を受けた本は、エ一リッヒフロムの『生きるということ』。
自分がいること、実際存在するというのはどういうことなのか。
それを、自分を省みることによって論及しているんだけど。
自分とはなんぞや…と。これは哲学書なんだけど、こういった本を漁ってみてはどうかな。

吉野:よく、“大学は自分探しの場”であると言われるけど、
自分なりの哲学を見つけるというか、作ることが大事かもしれない。

大沼:自分を見つける。汝、自らを知れ。

吉野:でも、自分探しって定義が難しい。
集団に埋没しない自己の確立だと、アイデンティティになるけど、
それはちょっと違う気がする。

大沼:結局、暖味に生きている自分を省みる時間がいままでなかった。
自分を知るということは、自分がこれまで歩んできた道、
そして自分がこれから歩んでいく道、方向性を見つけること。

齊藤:要するに、心のよりどころを見つけるってこと。

吉野:自分が自分であるために?

大沼:そうじゃなくてもいい。
自分とは一体何なのかを理解しようとするだけ。すごく抽象的だけど…。

吉野:それって曖昧でいいと思う。ちょっとずつ理解していく。
でも、全てを理解することはできない。

齊藤:まあ、とくに周りに影響されやすい時期だからね。
自分が何かしようとか、所属しようとか、参加しようと思ったら、
もう一度だけ立ち止まって、これから何かをしようとする自分を
考えてみるのもいいかもしれない。
それもまた自分探し。
あと、本の話に戻るけど、関係学科の学生にも哲学や文学作品を読んでもらいたいし、
文化学科の学生にも社会科学の本を読んでほしい。そうすれぱ、心がもっと豊かになれる。

吉野:まさしく、「出会った人の数と出会った本の数は、その人の心の広さに比例する」だね。

大沼:なにそれ、いつもの吉野君と違うね。

齊藤:これこそ、録音用の発言。

編集:K.Horie

 

 

 

 

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